今回は、強制・強要的に「コンテンツを作れ!」と言われても、作れない場合もあるのではないかという話です。
強制と強要
強制は、
権力や威力によって、その人の意思にかかわりなく、ある事を無理にさせること。
強要は、
無理に要求すること。無理やりさせようとすること。
検索順位を上げたいから、「コンテンツ作れ!」と経営者がWEB担当者等に対して強制、もしくは強要すると、著者は、
「どうにかしてコンテンツを作らなければ!」
「コンテンツを作らないと、怒られる」
「コンテンツを作らないと、売上に響く」
「経営者に対しての、期待に答えないと」
このようなことを強く思い、意識に範囲を限定して情報を探し、コンテンツを作り出そうとする可能性があります。
意識の中にあるものだけを探っても、人間の脳(心)は、”意識”と”無意識”に分かれているため、意識を探っても、コンテンツが作れない場合があるのではないかと考えています。
逆に、
「俺は良いコンテンツが作れる!」
「良いコンテンツを作るんだ!」
「良いコンテンツを作ってみせる!」
意識的に上記のようなことを著者自身に言い聞かせている、他者から聞かせられると、勝手に暗示にかかり、コンテンツが作れなくなったりする場合があります。これはいわば、良くなろうとして行ったおまじないが、結果として”呪いの呪文”のようになってしまい、コンテンツが作れなかった・妨げとなる恐れがあります。
無意識の中に、良いものが存在する?
先ほど、人間の脳(心)は、意識と無意識に分かれていると言いましたが、正確には顕在意識と潜在意識(無意識)に分かれています。
顕在意識は普段私たちが知覚している部分で、分析的、論理的思考をする脳です。一方、潜在意識は、無意識と言われる部分で、感覚や感性、直感を感じる脳です
著者が、意識的に脳(心)を探ってさがせる範囲は、意識(顕在意識)に限定されてしまうことがあります。この部分の割合は、10%程度であり、探しても良いコンテンツは作れない恐れがあります。
良いコンテンツは作るためには、残りの90%程度が潜在意識(無意識)と言われていますので、この部分まで深く潜り探すことで、ひらめきや直感といったものを感じることで、良いコンテンツが作れる可能性を秘めているといえるのではないでしょうか。
意識しているところで何かしようとしても、どうにもならない領域があるのです。
例えば、リハーサルで何かの間違いで上手く行ってしまう。普通なら「今日は調子がよい」と思いがちなのですが、かえって怖くなります。体力があるなしに関係なく、「良きもの」は一日に二回も三回も降りてこないからです。これも無意識の領域で行われていることなのではないかと考えます。
唯一考えられるのは、これまで自分が書いたものよりも、さらに良いものにしようという無意識が働いたのではないかということです。自分にとって最高の仕事の多くが、自分が意識的に取り組んでいない時に、無意識が働いた結果によって生まれたもののように思えてきました。
最高の仕事をするには、できるだけ長い間その仕事を放置(保留)しておくのも手なのでしょう(退屈で意識が散漫になった状態もまた、驚くべき創造性を生み出すかもしれません)。
参考:クリエイティブな良い仕事をするには、無意識に任せてなるべく放置すべし?
無意識には、怖さもある
人間の脳には、顕在意識と潜在意識(無意識)に分かれています。潜在意識(無意識)の奥にまで、潜ることで、”ひらめき”や”直感”といったものが得られる可能性があります。
ただ、無意識が生み出す「怖さ」もあります。
意識的にやっていることなら制御する事は出来るだろうが、無意識でやっている事は制御する事は難しい。
参考:無意識が生み出す「怖さ」
無意識には、このような怖さや危険性をはらんでいることを念頭においた方が良いと思う。
また、無意識が働くようにするには、時間がかかってしまうことがありますので、期限や納期といったものがある場合は、厳守して頂きたいです。
著者自身が、潜在意識(無意識)の奥まで潜り探しても、良いコンテンツを作るための”ひらめき”や”直感”が得られない場合、対策としては、外部の脳を借りて、コンテンツを作ることが考えられます。
ただ、ホームページ制作やコンテンツ制作業者の中には、長時間労働を行い、強制・強要的にコンテンツを生産されているところもないとは言えませんので、このような業者等が、果たして良いコンテンツが生み出されるのかという疑問ではあります。もちろん、全ての業者が良いコンテンツを生み出せない訳ではありません。
最後に、コンテンツの著者やWEB担当者等は、強要させるのではなく、”教養”させることで良きものを生んでもらうといいのではないかと思います。
コメント